桜の季節になると、長男との「別れ」の情景を思い出します。
小学生の頃から野球ばかりの健が、高校2年から勉強を自力で頑張り始めました。
朝 登校前の時間、帰ってから、夜、夜中
いつもブツブツ反復の声が聞こえていました。
高校時代 いろいろあって
ここから抜け出そう・・・見返してやる・・・
そんな気持ちが大学進学の力になったのかもしれません。
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そして
大学合格! 大都会 東京に行くことになりました。
すごく頑張っていたので 嬉しい~おめでとう!の気持ちはもちろん。
だけど 東京に行くのね・・・
小さい頃から手のかかる人で(私が進んで手をかけた)
失敗しないように先回りでいろいろ口を出した。
上手に出来ないと 自分でさせずに 私がやってしまった。
人に怒られる前に私が教えてあげないと。
何でもみんなと同じように出来ないと。
こんな事 思っていました。
片付けが出来なかったり、興味のない事には無関心。
自分の事ばかりで家の手伝いなどしたことない。
「出来ない」から と思って させなかったのですね・・・
健にだけです。理に対してこんな気持ちは無いのです。
学生寮に入寮!
我が家の家計の問題もあって アパート暮らしではなく、学生寮に決めました。
安い家賃なのに食事付、一人部屋、門限や規則、当番はあるけど そんなに縛られる事はないようです。
何より 「一人暮らし」ではない安心感。共同生活は色々な事 体験出来るのではないか?
なんて、経済的な理由が大なので(;´∀`) 良い理由探しですね(;´∀`)
本人はどう思っていたのか?
寮生活は食事付なので台所用品はいらないし、冷蔵庫・洗濯機も不要です。
布団・洋服・テレビ・パソコン・お風呂道具・洗濯もの干しなどなど。
ほとんど ニトリさんでそろえたので送料もお安くすみました。
ありがたい~
引っ越しの日
新幹線で東京へ。
すこし無気力ぎみだった理も一緒に。
なにか刺激になったら良いなぁ~と思い。
品川駅の人の波に圧倒され切符売り場になかなかたどり着けず(>_<)
まだPASMOを買っていませんでした。
観光ガイドブックを片手に 息子たちと珍道中です。
寮につくと 先輩方がいろいろお世話してくださいました。
部屋は5畳くらい。備え付けのベット・机・クローゼットがあります。
先に届いていた荷物を片付けてこれから健が住む部屋を片付けました。
今はどうにか片付いているけど 片付けが苦手な健です。
大丈夫だろうか・・・また心配
足りないもの買いに 少し離れたホームセンターに。
地元なら自動車で行く距離だけど ここは歩き。
桜の花があちこちで咲いている道を三人で歩きました。
健がここで暮らすんだな~
二日間 買い物ついでに観光、大学までの通学路の確認なんかですごしました。
新宿駅の広いこと。何階にいるのかどこに居るのか?迷子になりましたよ(>_<)
理 は疲れた・・・と先にホテルに帰ってしまい
健と二人で寮に行き荷物を片付け、寮長に挨拶をして・・・
引っ越し終了です。
駅から300mくらい ゆるいカーブの道。
良い感じの住宅街。
桜があちこちで咲いている。
夕暮れ
「じゃ おかーさん帰るね。 元気でね。 何かあったら電話して
足りないものは送るからね・・・」
何を言ったのか あまり覚えていません。
たぶん不安要素満載の言葉連発だったと思います。
健が歩きだします。
広い歩幅で
いつも いってらっしゃ~い!と見送る背中です。
振り返りませんでした。
ゆるいカーブの道。 桜がひらひら舞う道。
健がだんだん見えなくなりました。
振り返らない。 涙 (T_T)
帰り道 電車の中でも 新幹線でも 涙
人目があるのに涙・涙
長い道のりでやっと家に帰ると・・・
健を置いて帰った。 健がいない。
帰ってこない。
今度は本気の 嗚咽まじりの大泣き
あきれられてもしかたないほど
自分でも わけが分からないほどに 涙が止まりませんでした。
健 困ってるかも・不安かも・・・
本気でそう思っていました。
だから 桜の時期 少し寂しい気持ちになっていたんです。
あの時の健は
大学に合格した喜び・自信にあふれ・憧れの東京暮らし
うるさい母から逃れ 自由な生活
これから始まる大学生活にワクワク!していたはずです。
母が見送っている なんて気にならないくらい
軽い足どりで 新しい世界に向かって歩きだしていたんですよね。
ホントに 自分勝手!
子離れ出来ない母でした。
こんな気持ちになれたのは・・しばらくしてからです。
それまで 子離れしていない自覚がなったです。
ホントに残念な母ですね・・・
長男 健の引っ越しは 親子間の距離を置くきっかけになりました。
つらい別れをしたのだけど・・・
大学生活の4年間 健は たびたび実家に帰って来るのでした。
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